立川の名所・史跡を紹介します。

小林家住宅【川越道緑地古民家園内】
 Kobayasike Jyuutaku

    場所   立川市幸町4-65
  ひとこと:150年前の立川の生活が
                今も息づいている。

小林家住宅について
  小林家は、立川市幸町4丁目37番地の1にあって、江戸時代以来、旧砂川九番組に属してきたお宅で
 す。その母屋は、砂川には数少ない六間型【むつまかた】(土間を除き6部屋で構成される)で、高い技術と
 優れた材料が使用されています。最大の特徴は、母屋北西に配置された「オク」の間で、床【とこ】の間・
 違い棚【たがいだな】・書院などの座敷飾【ざしきかざり】は、当時の武家住宅に匹敵するほどの高い格式
 をもっています。
  立川市は、こうした点に注目し、当家を文化財に指定するとともに、「川越道緑地」内に移築復元するこ
 とにしました。作業は、できる限り元に材料を使って創建当初の姿に戻す、という方針で進められました。
  なお、移築に先立つ解体調査では「嘉永五年(1852)年」と書かれた部材が発見され建築年代が明らか
 になっています。                                                         立川市教育委員会のパンフレットより

オカッテ
食事の準備をしたり囲炉裏【いろり】を中心にして日常の接客、家族の食事に使われた部屋。

ナカノマ
神棚がしつらえられ、大神宮【だいじんぐう】がまつられており、ナンド側に仏壇と飾り棚がおかれています。

砂川十番組大のぼり

母屋の概要

 屋根形式:
  入母屋造(いりもやづくり)
  茅葺き(かやぶき)
 平面積:約200平米(60.425坪)
 上屋桁行(うえやけたゆき):
      約16.2m(9間)
 〈屋根を支える東端柱〜西
    端柱の長さ〉
 上屋梁行(うえやはりゆき):
      約7.2m(4間)
 〈屋根を支える南端柱〜北
    端柱の長さ〉   
 棟高:  約8.2m(24.7尺)
 〈礎石から屋根頂まで〉 

利用案内

開園時間:午前9時〜午後4時30分
休館日:毎週月曜日
(但し、この日が国民の祝日及びその振替休日の場合は翌日とし、この日を含んで連休が続く時は順延とします。)
入園料:無料
問合せ先:立川市歴史民俗資料館
п@042-527-0860

 

 根川貝殻坂橋 Negawakaigarasakabashi

錦町

         根川貝殻坂橋について

 甲州街道は、江戸時代初めの慶長8〜10年
(1603〜1805)に整備された。初め、江戸日本橋
と甲府(山梨県)を結んでいたが、後に下諏訪(
長野県)ま延長された。
 この甲州街道」が多摩川を渡る「渡し」は、何
度か移動され。それにともなって甲州街道の道
筋も変わったことが知られている。
 そのうち、慶安年間(1648〜1651)から貞亨元
年(1884)まで使われていたのが「万願寺の渡し
」である。台地の上をたどってきた甲州街道は、
国立の青柳で段丘を下り、多摩川の河原に下り
た。この段丘を下る坂を、昔は「貝殻坂」と呼ん
でいた。(現在は、普済寺の西側、富士見町五
丁目にある番場坂を貝殻坂とも呼んでいる。)
 貝殻坂の名は、江戸時代に発行された「四神
地名録(ししんちめいろく)」「武蔵国名勝図絵(
むさしのくにめいしょうえず)」「新編武蔵風土記
稿(しんぺんむさしふどきこう)」「武蔵野話(むさ
しのばなし)」などの書物の中にみられる。その
うち、文政11年(1828)に完成された「新編武蔵
風土記稿」の柴崎村(現在の立川市)の項には
「貝殻坂、青柳村と当村の界にあり、土中をうが
てば蛤の殻夥(おびただ)しく出づ。
 土人(ところのもの)の話に古はこの辺も海な
りしと伝ふ。」と記されている。
 よって本橋を貝殻坂にちなみ根川貝殻坂と名
付けるものである。        (案内板から)

 

根川緑道
 Negawaryokudou

富士見町・柴崎町・錦町

 根川緑道の小川は、立川市下水処理場で高度処理された きれいな水を利用しています。川底には、荒木田粘土の上に玉石や砂利などを撒き、潮や淵を設け、岸辺には水草などを植栽し、生きた水に戻す工夫をしています。
 草地の土手や蛇籠を使った護岸により自然の川岸の復元や、水生生物が棲みやすい環境づくりに配慮しています。
 また、昔に植えられたサクラを残し、かつての小川の景観を再現するために、草花や樹木の植栽を行っています。
    (根川緑道のはなし−小川の再現−から)

 

富士見緑地
 Fujimiryokuchi

富士見町

 平成13年3月に新しく整備された「立川市富士見緑地」は、多摩川とほぼ平行につながる立川崖線の一部として、立川市西部、昭島市との市境に近い場所に位置しています。
立川崖線とは、古富士の火山活動により堆積した立川ローム層が基盤となった立川段丘面を、多摩川やその支流の河川が浸食して出来た崖です。
植生は、ケヤキやムクノキ、エノキといったニレ科の植物を主体とし、シラカシ等の常緑樹が混じる混合林です。また、湧水も豊富で立川ローム層とその下層の切れ目から流出しています。
「立川市富士見緑地」は、立川崖線の一部として自然観察路、散策路として自然観察等が出来るように園路が設定された新しい緑地です。東京都農業試験場に併設されていますので、散歩や自然観察のスポットとして訪れてみてください。

(立川市富士見緑地案内図より)

 

山中坂
Yamanakazaka

 富士見町7丁目

  太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月4日未明、米軍の激しい空襲を受けた山中坂には、段丘(だんきゅう)のガケを利用した防空壕(ぼうくうごう)があった。

  近くに住む老人や子供たちが続々とこの防空壕の中に逃げ込んだ。そこへ米軍爆撃機(べいぐんばくげきき)B−29の落とした250キロ爆弾が命中。そして、防空壕に避難していた42人の人たちが亡くなった。

  悲惨(ひさん)な戦争を繰り返してはならないという人々の祈りがこの碑文(ひぶん)となった。

 

 

   
   
   

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