立川に関する事典 人・もの・出来事など…
あ か さ た な は ま や ら わ
い き し ち に ひ み り A~Z
う く す つ ぬ ふ む ゆ る
え け せ て ね へ め れ
お こ そ と の ほ も よ ろ
あ
あずさみてんじんじゃ 【阿豆佐味天神社】
砂川町4丁目。寛永6年(1629)、砂川の開発がはじまった頃、殿ヶ谷村(瑞穂町)の阿豆佐味天神社を勧請した。砂川の氏神(うじがみ)として373年の歴史をもつ。元日にはダルマ市が立つ。本殿、拝殿とも江戸時代の建築。<立川を歩く>
あゆりょうてい 【鮎料亭】
明治の中ごろから、昭和10年代まで、多摩川の清流と名物の鮎の料理を売り物にした料亭が、この立川付近でも営まれていた。丸芝亭(まるしばてい、立川亭、玉川亭である。訪れた客は、料亭の屋形船に乗り、鵜飼(うかい)を眺めながら、とりたての鮎の料理を賞味した。<改訂版 立川の歴史散歩>
あづまや 【東屋】
新宿・八王子間に甲武鉄道が開通した明治22年(1889)に立川村ʊ十二景を描いた馬場吉蔵の父・甚兵衛が立川駅頭に開業した旅人宿。その後、屋号を「東屋旅館」から「東雲閣」と変える。終戦間近、駅前広場拡張のため家屋の疎開命令が下り、「あづまや」の歴史を閉じる。<立川村十二景を描いた父>
い
いけだすみこかひ 【池田澄子 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「茜雲(あかねぐも) あえかに残り 亡母(はは)の背の 温(ぬく)みなつかし 武蔵野暮るる」
池田澄子(大正16年生~平成8年没)は 千代田区に育ち戦後結婚して立川に移り住みました。夫の突然の失明のため 会社の経理を担当し経営を助けるかたわら短歌を学び平成2年に「透きとほる窓」を出版しました。この歌は 川崎の会社から夫を車に乗せて帰宅中渋滞の日野橋を渡りはっと西空を見ると今にも消えかかる夕焼けが美しく 幼かった頃を 思い出して詠んだものです。【平成9年10月18日除幕】<歌碑の案内板より>
いしかわじまひこうき 【石川島飛行機】
いたび 【板碑】
板石塔婆(とうば)といわれる、石製の塔婆の一種。秩父産の緑泥片岩が用いら れているため、青石塔婆ともいわれる。鎌倉時代から室町時代にかけて、関東地方を中心に、主に死者の供養・追善と生前の逆修供養のために作られた。<改訂版 立川の歴史散歩>
いつかいちかいどう 【五日市街道】
いもくぼしんでん 【芋窪新田】
う
うど 【独活】
立川が日本一の生産を誇る特産物。“独活(うど)”はウコギ科の多年草です。中国から韓国、日本列島ではサハリンから沖縄に至るまで広く自生してる日本原産の野菜のひとつで、古代から山菜として食されてきたが、中古期(西暦655~1220年)から野生のものを栽培するようになった。東京でうどが栽培され始めたのは江戸時代で、品種改良・栽培技術の進歩によって現在は全国一の生産高を誇る、知られざる東京特産の野菜でもある。東京で栽培されるうどは、野生の山うど(緑色して短い)とは違い、真白。その理由は穴蔵(あなぐら。ムロとも呼ぶ)と呼ばれる地下で、日の光をあてずに栽培するためである。〈うどのホームページ〉
え
えどかいどう 【江戸街道】
えのきどべんてんしんでん 【榎戸弁天新田】
えんまどう 【閻魔堂】
お
おうめてつどう 「青梅鉄道」
おうばくしゅう 【黄檗宗】
中国の明の禅僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき・1592~1673)が開いた、臨済宗、曹洞宗にならぶ禅宗の一派である。寛文元年(1661)に将軍の命により、京都の宇治に、黄檗山万福寺を建て、黄檗宗を開いた。<改訂版 立川の歴史散歩>
おおやましんこう 【大山信仰】
神奈川県の大山阿夫利(あふり)神社は、雨を降らせる農耕神として知られる。江戸時代には、町人の間にも、治病など、現世利益の神として広まり、大山講がおこり、大山参りが盛んに行なわれた。また、この参詣の際に通った道を「大山道」と読んでいる。<改訂版 立川の歴史散歩>
おおやまみちひがしいせき 【大山道東遺跡】
おおわだいせき 【大和田遺跡】
柴崎町4丁目の多摩川を見下ろす段丘丘に広がる遺跡。昭和29年(1954)以来、5回にわたり、大掛かりな発掘調査が行われた。その結果、約8千年前の縄文時代早期の住居跡が4軒。約4千5百年前の縄文時代中期の住居跡が17軒。約1千年前の平安時代の住居跡4軒が発見される。いづれも竪穴式住居。<資料館見学の手引き1>
おくたまかいどう 【奥多摩街道】
か
がっこうきょういくはっしょうのちのひ 【学校教育発祥の地の碑】
かつさかしきどき 【勝坂式土器】
かみすなじどうかん 【上砂児童館】
かわごえみちにしいせき 【川越道西遺跡】
かわらのぎく【カワラノギク】
昭和2年10月、立川市の多摩川で久内清孝さんに原採集され、京都大の北村博士が命名したもので、学名は「アステル・カントウエンシス」とよばれる。関東地方の多摩川・相模川などにみられるキク科シオン属の一種。川原の洪水に見舞われる場所などに群生するが、ダムが整備され洪水が減ったことや、開発などによって減少し、現在では絶滅が心配されています。昭和49年には、カワラノギクの群落がNHKで全国放送され一般に広く知れわたるようになった。“多摩川の名花として親しまれている。”11月上旬が花盛り
「ニュース0425:1987.11.28号」、富山県中央植物園HP〉
き
きたたまこうこう 【東京都立北多摩高校】
く
ぐえいがくしゃ 【ぐ穎学舎】 「ぐ」は、「耒禺」
明治3年(1870)、立川市立第一小学校の前身である郷学校(ごうがっこう)が普済寺の中にある塔頭(たっちゅう)心源庵(しんげんあん)で開かれた。この郷学校は、その後、学制発布(がくせいはっぷ)によって【ぐ穎学舎】(明治五年)、芝崎学校と名を変え
て続けられた。明治11年(1878)には、村人の熱意によって独立校舎を建てた。「耒禺」は、2人並んで(耕す)、「穎」は穀物の穂先、すなわち才能が人に優れることを意味する。したがって、ここに学ぶ者が、ともに立派な人間になるようにとの思いをこめて命名されたのであろう。なお、耒禺、穎と、農業に関係ある字が選ばれたのはここが農民の師弟を対象とした学校だからではないだろうか。<改訂版 立川の歴史散歩>
くびづか 【首塚】
くまのじんじゃ 【熊野神社】
け
けやき 【欅】
立川市の木。ニレ科。高さ30メートル、幹は直径2メートルにもなることがある落葉大高木。幹が直立し枝が直立し枝が扇状に広がる樹形に特徴がある。葉は、秋に黄褐色または赤褐色に美しく色づいて散る。古くから武蔵野に原生しており、市民とはゆかりの深い樹。 〈立川市便利帳〉
げんごえもんぶんすい 【源五衛門分水】
けんちちょう 【検地帳】
けんちょうじ 【建長寺】
こ
こうくうじえいたいたちかわぶんとんち 【航空自衛隊立川分屯地】
こうしにっき 【公私日記】
こうしゅうかいどう 【甲州街道】
こうぶてつどう 【甲武鉄道】
明治22年(1889)4月11日、新宿ー立川間に開通。立川駅も同時に開業(北口のみ)。今のJR中央線。はじめは、甲州街道、次に青梅街道に沿って敷こうと計画されたが沿道の住民の反対にあい、立川村や砂川村の積極的な誘致運動により、武蔵野台地をまっすぐに走る現在の線路となった。この開通により、甲州街道の村のはずれを通る農村にすぎなっかった立川を多摩地区の中心都市に発展させた。なお、甲武鉄道は、明治39年(1906)10月に国有化され中央線となる。立川駅南口は、昭和4年(1929)12月に開設。 <資料館見学の手引き3>
こうほうたちかわ 【広報たちかわ】
こかげじんじゃ 【蚕影神社】
こくえいしょうわきねんこうえん【国営昭和記念公園】
昭和天皇在位五十年記念事業の一環として、国が設置した国営公園で、総面積は180haに及びます。現在、約8割の148haが一般に開園されています。広大な芝生と樹林のゆったりとした自然の中で、四季折々の美しい草花を観賞しながらの散歩。木陰での読書。バードウォッチング、バーベキューなどが楽しめます。また。子どもたちに大人気の「こどもの森」をはじめ、フットサルコートや各種スポーツコート、ボートやサクリングなどもあり、都会のオアシスとしてご利用いただけます。問合せ先:(財)公園緑地管理財団 昭和管理センター 〒190-8530 立川市緑町3173 ℡042-528-1751 URL http//www.krt.mlit.go.jp/showa <立川観光ガイドマップ>
こばやしけじゅうたく【小林家住宅】
小林家は、立川市幸町4丁目37番地の1にあって、江戸時代以来、旧砂川九番組に属してきたお宅です。その母屋は、砂川には数少ない六間型【むつまかた】(土間を除き6部屋で構成される)で、高い技術と優れた材料が使用されています。最大の特徴は、母屋北西に配置された「オク」の間で、床【とこ】の間・違い棚【たがいだな】・書院などの座敷飾【ざしきかざり】は、当時の武家住宅に匹敵するほどの高い格式をもっています。立川市は、こうした点に注目し、当家を文化財に指定するとともに、「川越道緑地」内に移築復元することにしました。(幸町4-65)作業は、できる限り元に材料を使って創建当初の姿に戻す、という方針で進められました。なお、移築に先立つ
解体調査では「嘉永五年(1852)年」と書かれた部材が発見され建築年代が明らかになっています。立川市教育委員会のパンフレットより
こぶし 【こぶし】
立川市の花。モクレン科の一種で、高さ8メートル内外にまで達する落葉高木。花は、派に先立って2~3月ごろ咲き、香気があり6枚の花弁がある。花弁は、白色で長さは約6センチ。果実はいくつかの袋果にまとまって、それぞれの袋状の部分に赤い種子ができる。 〈立川市便利帳〉
こふん 【古墳】
ごほうじょうし 【後北条氏】
こんぴらやま 【金毘羅山】
さ
さかえりょくち 【栄緑地】
さとうくまきち 【佐藤熊吉】
さわのいなり 【沢の稲荷】
さんたまそうし 【三多摩壮士】
さんたまみんけんようごどうめい 【三多摩民権擁護同盟】
ざんぼりがわ 【残堀川】
残堀川は、西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎の狭山池に始まり、武蔵村山市、昭島市、立川市を流れて、立川市柴崎町で多摩川に合流する川です。川の長さは12.7kmで、流域(雨水の集まる区域)の面積は、34.7k㎡(立川市の約1.5倍)です。残堀川の流域のほとんどは、立川段丘に属しています。立川段丘は、大昔、多摩川によってつくられた河岸段丘で、砂と礫の地層の上を関東ローム層で覆われています。〈残堀川の案内板より〉
ざんぼりがわきゅうすいろ 【残堀川旧水路】
し
しばさきがっこう 【柴崎学校】
しばさきぶんすい 【柴崎分水】
元文2年(1737)に玉川上水から引かれた。柴崎村の生活用水や水車などに利用。
しばさきぶんすいそがんじょう 【柴崎分水訴願状】
しばさきむら 【柴崎村】
しばさきむらやちょうつきしばさきむらちず 【柴崎村野帳附柴崎村地図】
しゃきょうあいあいすてーしょん 【社協あいあいステーション】
じょうすいむこういせき 【上水向遺跡】
じょうもんじだい 【縄文時代】
じょせいそうごうせんたーあいむ 【女性総合センター・アイム】
じょうやとう 【常夜燈】
しょうりょう 【性了】
しょうわきねんこうえん【昭和記念公園】
→こくえいしょうわきねんこうえん【国営昭和記念公園】
しんげんあん 【心源庵】
しんでんかいはつ 【新田開発】
す
すずきていじかひ 【鈴木貞治 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「麦負うて 道いっぱいに 揺り来る」 【平成9年10月18日除幕】
すずきへいくろう 【鈴木平九郎】
すながわこうこう 【東京都立砂川高校】
すながわしんでん 【砂川新田】
すながわとうそう 【砂川闘争】
すながわぶんすい 【砂川分水】
すながわまえしんでん 【砂川前新田】
すわじんじゃ 【諏訪神社】
柴崎町1丁目5-15 弘仁2年(811)に、信州(長野県)の諏訪大社を勧請したと伝えられる古社。天正年間(約400年前)の火災で全焼、寛文10年(1670)に再建。市内最古の木造建築物であったが平成6年に火災により焼失。現在の社殿は平成12年に再建。8月下旬には、獅子舞、相撲が奉納される「例大祭」が行われる。諏訪神社の所蔵する諏訪神社獅子頭・太鼓胴は、市指定有形文化財。<立川の歴史散歩>
すわじんじゃししがしらおよびたいこどう 【諏訪神社獅子頭及び太鼓胴】
た
だいいせき 【台遺跡】
だいにちにょらい 【大日如来】
たいまつぎょうじ 【松明行事】
たかむらこうたろうしひ 【高村光太郎 詩碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「葱」
立川の友達から届いた葱は、
長さ二尺の白根を横へて
ぐっすりアトリエに寝込んでゐる。
三多摩平野をかけめぐる
風の申し子、冬の精鋭。
俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると
ちきしやう、
造形なんて影がうすいぞ。
友がくれた一束の葱に
俺が感謝するのはその抽象無視だ。
【平成8年12月7日除幕】 <立川を歩く>
たちかわえき 【立川駅】
たちかわきち 【立川基地】
たちかわこうしょうやくば 【立川公証役場】
たちかわこくさいゆうこうきょうかい 【立川国際友好協会】
たちかわこうえん 【立川公園】
たちかわこうこう 【東京都立立川高校】
たちかわし 【立川氏】
たちかわしぎかい 【立川市議会】
たちかわしこどもかいれんごうかい 【立川市子ども会連合会】
立川市内の子ども会をバックアップする組織で、子ども会の世話をする育成者の連絡会としての役割も持つ。立川市全域を12のブロックに117の子ども会が所属している。会員数約7200名。ほとんどが小学生。中学生・高校生を中心とするジュニアリーダーは、約200名。凧揚げ大会など年に数回の全体行事を開催。会長 石井幸夫 2002.2 <With vol.39>
たちかわししゃかいふくしきょうぎかい 【立川市社会福祉協議会】
たちかわしばさきくらしのそうだんせんたー 【立川柴崎暮らしの相談センター】
たちかわしやかたあと 【立川氏館跡】
たちかわしれきしみんぞくしりょうかん 【立川市歴史民俗資料館】
たちかわてい 【立川亭】
たちかわとしょかん 【東京都立立川図書館】
たちかわねんきんそうだんさーびすせんたー 【立川年金相談サービスセンター】
たちかわはらかっせんくようしょうこ 【立川原合戦供養鉦鼓】
たちかわひこうじょう 【立川飛行場】
たちかわぼうさいかん 【立川防災館】
たちかわぼらんてぃあせんたー 【立川ボランティア・センター】
たちかわむらじゅうにけい 【立川村十二景】
立川市重要文化財。馬場 吉蔵作。明治時代後期の立川の姿を伝える貴重な文化財。馬場氏は、甲武鉄道が開通した明治22年に開業した旅人宿「あずまや」の2代目。明治大学に学び、佐竹永陵画伯に入門。昭和49年3月22日没。<立川村十二景を描いた父>
たちかわようごがっこう 【東京都立立川養護学校】
たちかわりくぐんびょういん 【立川陸軍病院】
たちかわろうがっこう 【東京都立立川ろう学校】
たちひばし 【立日橋】
たなかふゆじしひ 【田中冬二 詩碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「シクラメンの花と」
大晦日の夜十時頃
親しくしていただいてる花屋さんから
シクラメンの花鉢がとどけられた
すばらしい花だ
そのシクラメンと年越をした
スヰィートハートといっしょのように
【平成9年10月18日除幕】 <立川を歩く>
たにがわすいしゃくひ 【谷川水車 句碑】
たまがわ 【多摩川】
その源を丹波山に発し、下流を東京湾に注いで、全長138キロメートル。わが国でも指折りの美しい名河。上流を丹波川・日原川、中流を多摩川、下流部を六郷川と、それぞれ別の名前で呼ばれてきた。<郷土たちかわ〉
たまがわ兄弟 【玉川兄弟】
たまがわぎょろうぐ 【多摩川漁撈具】
たまがわじょうすい 【玉川上水】
承応3年(1654)玉川兄弟により完成された玉川上水。さまざまな木々や花を楽しめる玉川上水緑道。 <立川観光ガイドマップ>
たまがわてい 【玉川亭】
たまだるま 【多摩ダルマ】
だんきゅう 【段丘】
て
てつぎゅうおしょう 【鉄牛和尚】
てらこや 【寺小屋】
てんのうばしびいちてんいせき 【天王橋B地点遺跡】
てんのうさま 【天王様】
とのがやしんでん 【殿ヶ谷新田】
と
とくがわいえやす 【徳川家康】
とくがわよしむね 【徳川吉宗】
とのがやしんでんいせき 【殿ヶ谷新田遺跡】
ともえがし 【巴河岸】
とよとみひでよし 【豊臣秀吉】
とりつたんきだいがく 【都立短期大学】
とりつたんきだいがくあけぼのぐらうんど 【都立短期大学曙グラウンド】
どりーむがくえん 【ドリーム学園】
な
なかざとしんでん 【中里新田】
なかじましゅんじ 【中嶋舜司】
なかじまひこうき 【中島飛行機】
なかすなほいくえん 【中砂保育園】
なぬし 【名主】
なかのとうごかひ 【中野籐吾 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「川原にかはらなでしこ咲くもよし 空をうつして水澄むもよし」
多摩川原に、秋の野草ナデシコが咲き、川水もますます澄んで、いつも美しい 多摩川よ、と多摩川を愛する歌である。昭和26年作。この頃から昭和40年代 のはじめにかけて、たく さんのすぐれた短歌をのこされた。 平成2年に亡くなられるまで、明星大学教授、一生教職にあり、立川の郷土誌 の語りべでもあった。「あの日、あの頃、あの辺り」「街の片隅から」の著書もよ く知られている。 【平成12年7月7日除幕】<歌碑の案内板より>
なかむらくさたおくひ 【中村草田男 句碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「冬の水一枝の影も欺かず」 【平成3年9月7日除幕】<立川を歩く>
なんぶてつどう 【南武鉄道】
に
にしきじどうかん 【錦児童館】
にしすないせき 【西砂遺跡】
ね
ねがわ【根川】
根川は立川段丘の崖線の湧水を集めた小川でしたが、明治26年に残堀川と合流して水量も増え、憩の場として親しまれていました。昭和10年に氾濫防止の改修工事が行われました。その時、堤にサクラが植えられ、それ以後花見の名所となりました。しかし、その後も
氾濫を繰り返されたため、昭和47年に多摩川への進路変更が行われ、その一部が埋め立てられました。埋め立てられた根川は昭和48年、49年に小川の流れる根川緑道として整備が行われました。水路には井戸水と下水道砂濾過水を混合して1日250mの水が流れ出ていました。
平成3年には、建設省の下水道水の有効利用・アクアパーク事業の指定を受け、立川市錦町下水処理場より無色、無臭の高度処理水を1日2,700㎡流せることとなり、平成4年から平成8年の5箇年で根川緑道の全面改修整備を行いました。現在の流れは人工的に創られた水路ですが、豊富な高度処理水を用いて小川や水辺を再現し、かつての根川に棲息していた魚や水性生物が棲める環境をつくる工夫を行っています。<根川の案内板より:平成8年3月立川市〉
ねがわりょくどう 【根川緑道】
根川は昭和48年、49年に小川の流れる根川緑道として整備が行われました。根川緑道の小川は、立川市下水処理場で高度処理されたきれいな水を利用しています。川底には、荒木田粘土の上に玉石や砂利などを撒き、潮や淵を設け、岸辺には水草などを植栽し、生きた水に戻す工夫をしています。草地の土手や蛇籠を使った護岸により自然の川岸の復元や、水生生物が棲みやすい環境づくりに配慮しています。
また、昔に植えられたサクラを残し、かつての小川の景観を再現するために、草花や樹木の植栽を行っています。〈根川緑道のはなし-小川の再現-から〉
の
のうぎょうしけんじょう 【農業試験場】
のざわのふみきり 【野沢の踏み切】
は
はいぶつきしゃく 【廃仏毀釈】
ばっかりいち 【バッカリ市】
2001年で28回を数える。 バッカリ商店街・地方・外郭物産・フリーマケット・農業祭・子どもの広場・バッカリステージなど盛りだくさんの祭り。国営昭和記念公園立川特設会場で開催。平成13年は11月10日11日に開催された。
はちけんしんでん 【八軒新田】
はちまんじんじゃ 【八幡神社】】
柴崎町1丁目。建長4年(1252)に創建と伝えられる。鎌倉時代から戦国時代に、立川に勢力を張っていた武士団「立河氏」が自らの武運長久を願ってたてたものと考えられる。寄進された本地仏のうしろに「立河照重」と記してある(背銘)。火災のため天保12年(1841)に再建され、明治40年(1907)に諏訪神社本殿のすぐ東隣に移築された。八幡神社本殿は、市有形文化財指定。 <立川の歴史散歩>
はちまんじんじゃあとのひ 【八幡神社跡の碑】
建長4年(1252)創建と伝えられる八幡神社の跡地に建てられた碑。市立第一中学校校庭の南側にある。 <立川の歴史散歩>
はつうま 【初午】
はらいちばみち 【原市場道】
ひ
ひののわたし 【日野の渡し】
ひののわたしのひ 【日野の渡しの碑】
ひのばし 【日野橋】
ふ
ふぁみりーさぽーとせんたー 【ファミリー・サポート・センター】
ふぁーれたちかわ【ファーレ立川】
立川北口の立川基地跡再開発事業。この地区を「ファーレ立川」と呼ぶ。「ファーレ」とはイタリア語の「FARE」(作る、創造する 生み出すの意)をベースに 立川の「T」を付け「FARET」と表記する。<ファーレ立川アートマップ>
ふさいじ 【普済寺】
山号は玄武(げんぶ)山。臨済宗建長寺派で有名な古寺。中世に武蔵七党とよばれた武士団の中の西党の一族、立川氏が文和2年(1353)菩提寺として創建したと伝えられる。 開山は高僧物外可什(もつがいかじゅう)。室町時代には、この地方の文化の中心で、
普済寺版とよばれる仏教経典を刊行した。寺内には、国宝の六面石幢(ろくめんせきとう) がある。 柴崎町4-20-46 ℡042-522-3664 <立川を歩く>
ふさいじいせき 【普済寺遺跡】
ふさいじsyかむにざぞう 【普済寺釈迦牟尼坐像】
ふじあさまじんじゃ 【富士浅間神社】
ふじこう 【富士講】
ふじづか 【富士塚】
ふじみじどうかん 【富士見児童館】
ふりつだいにちゅうがっこう 【府立第二中学校】
ほ
ほうのうししまい 【奉納獅子舞】
毎年8月下旬の諏訪・八幡両社の例大祭に奉納される獅子舞。起こりは元禄年間といわれ約300年の伝統を持っている。柴崎・富士見町地区を中心に伝承されてきた。祭礼当日、柴崎町1丁目の獅子宿を出発し4人の棒使いが露払いとして道を開き、境内参道より舞い込む。ほら貝、笛、唄に合わせて、雄獅子2頭、雌獅子1頭に天狗を加えた舞。雄獅子2頭が雌獅子をめぐって争う古式豊かな勇壮な舞。舞の種類は12あり「十二狂い」という。<立川の歴史散歩>
ま
まいまいずいど 【マイマイズ井戸】
まつなかっぱらいせき 【松中ッ原遺跡】
まゆだま 【マユ玉】
まるしばてい 【丸芝亭】
まんがんじあと 【満願寺跡】
まんがんじみち 【満願寺道】
まんがんじれん 【満願寺聯】
み
みずはらしゅうおうしくひ 【水原秋桜子 句碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「初日さす 松はむさし野に のこる松」
水原秋桜子(明治25年10月9日~昭和56年7月17日没)俳誌「馬酔木(あせび)」を主宰。この句は、第八句集の「蘆刈(あしかり)」の中のお気に入りの一句で昭和14年の作です。戦前の立川には、まだ赤松や雑木林があり、武蔵野の風景があり
ました。こんな絵画美を詠んだ俳句をたくさん残され、すぐれた俳人を門下に育てられました。【平成13年9月8日除幕】<立川を歩く>
みどりのぶんかぞーん【みどりの文化ゾーン】
「みどりの文化ぞーん」は、立川の市街地に隣接し、JR立川駅北口から徒歩約10分でアクセスできる国営昭和記念公園の新しい玄関口で、街と公園を融合、結節する入園無料のエリアです。ここでは、「都市における『緑の文化』の創造と発展」のテーマに関連した様々な展示や講習会、行催事が行われます。このゾーンには、大きな四阿のような特徴的な建築デザインを持ち、各種活動の拠点となる「花みどり文化センター」を始め、屋外の行催事の拠点となる大きな芝生広場の「ゆめひろば」などがあります。<立川観光ガイドマップ>
みやざわしんでん 【宮沢新田】
みやのばしいせき 【宮ノ橋遺跡】
む
むかいごういせき 【向郷遺跡】
むさししちとう 【武蔵七党】
も
もつがいおしょうざぞう 【物外和尚坐像】
もつがいかじゅう 【物外可汁】
や
やがわしつげん 【矢川湿原】
やがわりょくち 【矢川緑地】
立川段丘崖下から湧き出る豊富な水を源として、甲州街道を横断して府中用水の支流と合流する長さ1.5km程の小川。清流に生育する「ナガエミクリ」が生い茂り、初夏には白い花を咲かせる。<立川観光ガイドマップ>
やぎしたよしはるかひ 【八木下禎治 歌碑】
「日のいろの寒き川原にひらめける
芒(すすき)のそよぎ声のごときもの」
【平成7年4月14日除幕】 <立川を歩く>
やはたじんじゃ 【八幡神社】
やはたじんじゃのおおけやき 【八幡神社の大欅】
諏訪神社の南の鳥居から、西方約200mほどの所にあります。もとの八幡神社はここから約30mほど北にあって、この大ケヤキはその参道に植えられたものといわ れています。 <立川を歩く>
やまなかざか 【山中坂】
やまなかてんのうまつり 【山中天王祭】
やまやのぎくくひ 【やまやのぎく 句碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「どこよりも小学校のさくらかな」 【平成13年除幕】<立川を歩く>
り
りくぐんひこうだいごれんたいせいもんあと 【陸軍飛行隊第五聯隊正門跡】
りくじょうじえいたいひがしたちかわちゅうとんち 【陸上自衛隊東立川駐屯地】
りゅうせんじ 【流泉寺】
りんざいしゅう 【臨済宗】
れ
れきしみんぞくしりょうかん 【歴史民俗資料館】
立川市の自然・歴史・民俗に関する資料や市指定文化財などが展示されている。収蔵品展や特別展など随時開催。入館無料/9:00~16:30 月曜休館。富士見町3-12-34 <立川観光ガイドマップ>
ろ
ろくめんせきとう 【六面石幢】
普済寺の六面石幢は、わが国の六面石幢の代表的なもので、大正2年(1913)に国宝として指定されている。六面石幢は、仁王像(におうぞう)と四天王像(してんのうぞう)を刻んだ6枚の緑泥片岩(りょくでいへんがん)を6角の柱状に組み合わせたもので、六角形の笠石(かさいし)が乗せられている。高さ166cm、各面の幅は、約42cm。広目天像(こうもくてんぞう)の板石には、普済寺の開山・物外和尚(もつがいおしょう)の弟子である性了(しょうりょう)たちによって、延文6年(1361)に建立したことが刻まれている。 <立川の歴史散歩>
わ
わかやまきしこかひ 【若山喜志子 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「ひとりゐは あさこそよけれ わか竹の
露ふりこぼす かぜにふかれて」
この歌は 若山喜志子(明治21年5月28日~昭和43年8月19日)の歌集「芽ぶき柳」の一首です。歌の大意は「(夫の牧水に先立たれ)一人住まいは寂しい。でも その生活のなかにも清々しい一時がある。朝 家の前に立ち 若竹が風に吹かれてそよ【平成7年4月14日除幕】 <立川を歩く>
わかやまたびとかひ 【若山旅人 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「霧にこもれる多摩川いつか雨となり
芽ぶく楊もぬれはじめたり」 【平成7年4月14日除幕】 <立川を歩く>
わかやまぼくすいかひ 【若山牧水 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「多摩川の あさき流れに石なげて
あそべば濡るる わが袂かな」
若山牧水(明治18年8月24日~昭和3年9月17日没)「創作」主宰。明治44年9月刊歌集「路上」にこの歌を発表。同時作に「多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにおもふひとのあれかし」があります。牧水は旅の歌人、酒の歌人として友人石川啄木の「一握の砂」と共に明治末年の歌壇の主流となっていました。 【平成13年9月8日立川市】<立川を歩く>
わださんらんかひ 【和田山蘭 歌碑】
立川根川緑道の「詩歌の道」に建立されている。
「時雨かと戸をあけてみれば しぐれならず星空さえて 多摩川の音」
【平成10年10月3日除幕】 <立川を歩く>
A~Z
TMO
タウン・マネジメント・オーガニゼーション(Town Management Organization)の略。市街地の整備改善と商業等の活性化を一体的に推進する法律「中心市街地活性化法(平成10年施工)」の目的達成のために企画調整や事業を立案、推進
する組織。各地の商工会議所が支援する。立川TMOは、立川商工会議所が推進する。市民・大学・お店・企業・行政のネットワークを目指している。国のTMO支援機関は、「中心市街地活性化関係省庁連絡協議会」。 <たちかわTMO発進>
参考文献・出典
改訂版 立川の歴史散歩 平成2年3月27日発行 立川市教育委員会発行 東亜印刷株式会社
立川観光ガイドマップ(立川という“まち”のレシピ) 2005.10 発行:立川観光協会
立川を歩く 歴史と文化の散歩道 - 改訂版 - 平成13年10月 立川市教育委員会発行
ファーレ立川アートマップ 1997年2月28日 立川市発行