50音順

津戸 英守、馬場 吉蔵、三田 鶴吉、

津戸 英守 (つど ひでもり) -多摩川の野鳥の研究と保護に貢献ー

多摩川の野鳥 1984年

 大正12(1923)年10月27日東京都立川生まれ。平成29(2017)年9月逝去。東京歯科医専(現 東京歯科大学)を卒業、立川市内で歯科医の後を継ぎながら多摩川の野鳥の観察を続ける。昭和14年日本野鳥の会入会、昭和17年日本野鳥学会入会。日本鳥類保護連盟専門委員、武蔵野野鳥の会理事等を歴任。野鳥と自然や人間をテーマに一般市民を対象とした講座や、野鳥・環境・自然・公害等の写真展を開催。
多摩川をホームグラウンドとして歯科医のかたわら40年間にわたる野鳥観察の記録を「多摩川の野鳥」として昭和54年に自費出版。戦前・戦中・戦後をにかけて多摩川の野鳥を見守り続けた貴重な記録でもある。日本野鳥の会創始者の中西悟堂氏は同書に「40年間の多摩川調査の決算書であるが、それとともに120種の鳥の生態を素材として診察してきた多摩川の告発カルテであり、多摩川としては最高水準の著作でもあろう、さらに記述の精度といい、密度といい、他の河川への少なからぬ示唆と教訓を盛ったテキストでもある」と寄せている。
なお、津戸氏の家系は、菅原道真公の三男道武という遠祖が現在の国立市谷保の豪族津戸氏に封ぜられ(901年)てから1,170年間、天満宮の神官を世襲し、
第63代が津戸氏の父にあたる。その父の代から立川で医者を開業した。多摩川とのつながりは1,000に及ぶとのことである。
著書:写真集「多摩川の野鳥」昭和54(1979)年8月1日発行 自費出版、「多摩川の野鳥」昭和59(1984)年5月10日 講談社、「日中愛鳥教育交流5000キロ」 平成4(1992)年 けやき出版
【参照「多摩川の野鳥」1954他】

馬場 吉蔵(ばば きちぞう) -日本画家:市重宝「立川村十二景」を描くー

立川駅前砂川街道 t12 a 9

生家あづまや

明治30年3月14日、甚兵衛、ヨ子(よね)の二男として立川で生まれた。昭和49(1974)年5月25日逝去。享年78歳。生家は、明治22年甲武鉄道が開通時に開業した立川駅前の旅人宿「あづまや」(のちの東雲閣)。兄福太郎の急死のため父・甚兵衛の跡を継ぐ。明治大学に通う傍ら、小石川に屋敷のあった佐竹永陵画伯入門、南画を学ぶ。さらに浮世絵の世界にまで広く日本画の道を探求しながら、専門画家とならず、郷土作家としてその一生を終える。一時、立川村尋常高等小学校で代用教員を勤める。「あづまや」は、新宿・八王子間に甲武鉄道が開通した明治22年(1889)に吉蔵の父・甚兵衛が開業。その後、屋号を「東屋旅館」から「東雲閣」と変える。終戦間近、駅前広場拡張のため家屋の疎開命令が下り、「あづまや」の歴史を閉じる。 戦後、吉蔵は、立川駅から西へ15分ほどの街道沿いの骨董店「白雲堂美術店」を開店。 著作には画集「立川村十二景」のほかに「葉がくれ日記」がある。「葉がくれ日記」は、絵画・随筆・新聞の切り抜き、父・甚兵衛の人物像などが綴られた30数巻に及ぶものだが、隣家からの延焼でほとんど焼け数冊が、子・馬場啓の元に残っている。【参照:「立川村十二景を描いた父」1999馬場啓、「日野の渡し碑記念誌」馬場吉蔵氏を語る 三田鶴吉】

三田 鶴吉(みた つるきち) -市井の郷土史研究家として多方面で活躍ー

立川飛行場物語

大正13(1924)年2月27日、西多摩郡調布村(現青梅市)生まれる。平成31(2019)年1月22日逝去。享年94歳。多摩川の瀬音を聞いて育ち、昭和13(1938)年5 月、当時拡張に次ぐ拡張を続けていた立川飛行機株式 会社に見習工として入社。後に志願して陸軍第八航空 教育隊に入隊、22歳で特攻隊員として中国で終戦を迎え昭和 21(1946)年に復員。立川生花市場に勤めていたが昭和26(1951)年7月、立川市で三田花店を創業。リヤカーで花の弾き売りを始め、やがて中央沿線第一の売り上げを誇るようになる。昭和32年、立川市錦町に花店を建設。花店の経営の傍ら、多摩地域の歴史、自然、民俗の研究を続ける。多摩川の禁猟区化やクリーン多摩川運動、カワラノギク復活などボランティア活動などにも積極的に貢献。立川市文化財保護審議会会長、立川観光協会会長、立川民俗の会会長、クリーン多摩川実行委員会委員長等を歴任。
著書:「立川飛行場史」1976年、「立川飛行場物語」上・中・下 1987年 けやき出版 、「万年青」1989年 けやき出版、「ゆきつ戻りつ」 1996年 けやき出版、「角さんの話」 2000年 けやき出版 絵:小島剛夕 監修:「目で見る立川・昭島の100年」 2002年 郷土出版社 他 【参照:「えくてびあん」2020.2月号No,419他】