「100万回生きたねこ」-おとなこそ読みたい子どもの絵本読書会に参加
「立川まんがぱーく」で開催された絵本の読書会
「100万回生きたねこ」を通して“私の生き方を考えてみよう”という志村順子先生主宰の読書会に行ってきた。最初、絵本の読み聞かせの会かなと思っていたが、実際は絵本を題材に参加者がディスカッションをし各々の考え方を学び合い人生観を深め合う集いであったように思う。約10人の世代を超えた意見をお伺いすることができた、
志村先生の「100万回生きたねこ」の朗読をお聞きしてから、全参加者が感想を述べ、その後、作者の佐野洋子氏の生涯と折々のメッセージについてレクチュアがあり、参加者のディスカッションへと進んだ。多様な意見があるものだと思ったので印象に残る発言を記しておきたい。
・なぜ最後は“白いねこ”なのかわからない。子どもには読ませたくないと思った。
・ネコの気持ちが良くわかる。実際、子供や孫よりもネコの方がかわいい。
・輪廻転生を表現しているにもかかわらず宗教的な言葉を全く使っていない。
私自身は、当初は、「愛は、受けることよりも与えることの方が安らぎが大きいのでは。愛されるということは受動的だが、愛するということは能動的だ」なんて言っていたが志村先生から晩年の佐野氏が「今度生まれたら『バカな美人』になりたい」と語っていたことを聞き「本当は、100万回生きた猫が主役ではなくて作者自身は“白いネコ”になりたかったのでは」と思ってしまった。(読書会では、なぜか『バカな美人』に話題が集まった)「100万回生きた猫」は、昭和52(1977)年の初版発行以来、220万部を突破し117版(2019年)を数える大ヒット作となったのだから多くの人の心をつかむ絵本であることは間違いない。
読書会を終えて、佐野洋子氏(1938-2010)の書籍を2冊読んだ。母との葛藤と和解を描いた「シズコさん」(2008)、晩年のエッセーをまとめ没後に出版された「死ぬ気まんまん」(2011)。中国・北京で7人きょうだいの第2子として生まれ、幼少の頃に3人の兄・弟を失い、20歳の時に父を失った。戦後中国からの引き揚げの苦労と母との関係や死の受容といったなまなましい体験がユーモアも交えながらさばさばと語られている。佐野節といわれる由縁だ。没後も、追悼本や人気作家13人によるトリビュート短編集が出版されている。
立川市図書館利用カードには、100万回生きたねこがデザインされている!
立川市図書館の図書利用カードには、佐野洋子氏の「100万回生きたねこ」のデザインが描かれている。その由来について志村先生より話があった。平成4(1992)年に立川市の若葉図書館・幸公民館共催の講演会「絵本は誰のもの」で佐野氏が登壇された縁で立川図書館の電算化に伴い図書利用カードに『ねこ』のイラスト使用を快諾して頂いたとの事。平成7(1995)年の立川市中央図書館オープン記念の折には、ご主人の詩人・谷川俊太郎さんと共に参加されている。(翌1996年に離婚するが谷川氏の隣に住む)私自身、いつも使用している図書利用カードだが今回初めてそのいきさつをお聞きした。
志村順子[しむら じゅんこ]
1943年東京都杉並区生まれ。会社役員。家庭裁判所調停委員。1965年、早稲田大学第一文学部卒業。1987年から2004年まで立川市教育委員。その間の1997年から2004年まで委員長を務める。1977年、「ひらがな大王」で朝日小学生新聞短編小説特選。その後、朝日小学生新聞に連載、読み切り作品を発表。1995年、「父の月」で北日本文学賞選奨賞を受賞。著書に「夜がふたつあった日」(近代文藝社)がある。(「教育万華鏡」2006 の著者紹介より)
日記プラス:「悔いの克服」
「100万回生きたねこ」は、佐野洋子氏39歳の作品である。72歳で乳がんでお亡くなりになるまで執筆活動を続けた。ずっと死を凝視し続けた人生ではなかっただろうか。私は、あくなき創作活動の源は「悔いの克服」であったように思う。
終戦時の価値観の崩壊 ― 人の心が急変する悔しさ
親族との別れ ー 最愛の兄や父がこの世から消えていく悔しさ
全身を襲う痛みとの戦い - 頭脳は明晰であるのに動けない悔しさ
佐野氏は、安らかな永遠の死を決して望んではいなかったと思う。「100万回死んだねこ」は、本当は、200万回も300万回も生きて生きて「美しい白いねこ」を愛し続けたかったのではないだろうか。そして、「白いネコ」も何回も何回も生まれ変わって愛する「トラネコ」といっしょにいたかったのではないかと思えてならない。「美しい白いねこ」は、純粋な乙女であり、「トラネコ」は、愛して悔いなき「生涯の恋人」ではないかと思う。最後のエッセー集「死ぬ気まんまん」は、実は「生きる気まんまん」ではないだろうか。2020.8.30
勢いにのって小林秀雄賞を受賞した「神も仏もありませぬ」を読んだ。作家の関川夏央氏は、この書に対して「コミュニティ文学」であり「初老期批評文学」であると高く評価している。同書の佐野洋子氏の言葉「私が死んでも、もやっている様な春の山はそのままむくむくと笑い続け、こぶしも桜も咲き続けると思うと無念である」との一節を取り上げ、“彼女は、正統な、そして最後の「大陸出身文学の作家」であった”と解説している。私は、佐野氏の北軽井沢での濃厚な人間関係に驚くとともに、人と人との絆を懸命に求める姿に人間の美しさと哀しさを感じた。2020.9.1
- 立川まんがぱーく
立川市庁舎の泉町への新築移転(2010.5)に伴い、旧庁舎を活用して「立川市子ども未来センター」として2012年12月にリニューアルした。センターには、立川市の「子ども家庭支援センター」、「特別支援教育課」、「錦連絡所」及び「立川まんがぱーく」が入居している。「立川まんがぱーく」は、旧市庁舎の跡地利用についてのコンペで合人社計画研究所の提案したプランが採択され、2013年にオープンした。指定管理者として合人社が独立採算自主事業として管理運営を行い、イベント企画や選書・プランニング等は、レインボーバード合同会社が請け負っている。歴史に残る名作から、バラエティ作品、勉強に役立つ学習まんがまで、幅広いまんが作品を集め、ジャンルごとの棚に収蔵されている。絵本も2千冊収蔵。床のほとんどの部分が畳敷きになっている。小さな机や座布団、押入れのような空間を用意し、寝転がったり、くつろいでまんがを楽しむことができる。現在の蔵書は、4万冊(2020年)。「まんがぱーく」の設置目的―まんがの文化的価値を多くの人に楽しんでもらう、まんがを通して多様な価値観を学ぶーは高邁だが、実際にはマンガ喫茶にような利用のされ方でまんが喫茶としては、最も低価格のサービスを提供していることは間違いがない(大人1日400円・子ども1日200円)。「まんがぱーく」の運営には税金は使われていないが市の公共施設として市民の文化向上に寄与できているかどうかは何とも言えない。利用者は子供をはじめ大人も多く、市民には人気のある施設だ。今回は、大人向けの絵本読書会の開催であったが、こうした取り組みによって今後の展開が大いに期待される。読書会では、館長からジュースの差し入れがあったのにはびっくりした。
(写真は、立川まんんがぱーくHPより)
見たよ❗